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Type Interview 5 / Type Story : メアリー・マクギネス (ENFP)
はるみ: ENFPのベテランタイプトレーナーとして、タイプの世界に足を踏み入れたばかりのENFPにどのようなアドバイスをしますか? メアリー: もしタイプに関する仕事をしたいのであれば、きちんとしたトレーニングを受けることですね。そして、何をするにしても、しっかりとやること。 世の中には、手を抜いたり、簡単に済ませたりする人が本当に多いと思います。短期間で、手軽に終わらせようとする人も多いです。 でも、しっかりとした仕事をすれば、人々はそれを評価し、価値を感じてくれます。そして、あなたを推薦してくれるようになります。 私はこのビジネスを始めて最初の20年間、一切広告を出しませんでした。 すべて口コミだけでした。 最終的には、毎年20の認定プログラムを運営するまでになりました。 1つのプログラムには少なくとも20人、多い時には35人が参加していました。 もう一つ、ENFPにアドバイスしたいのは、財務管理に気をつけることです。 ENFPは、つい他の誰かにお金の管理を任せてしまいがちです。 その結果、使いすぎてしまったり、マーケティングを忘れてしまったりすることがあります。なぜなら、私たちはもともと整理整頓が得意ではないからです。 はるみ: タイプについて、誰から学びましたか? メアリー: 2人の重要な先生がいました。ノエル・デイビス と マーガレット・ハーツラー です。 私の最初のタイプの先生の一人は、INFJのノエルでした。彼はオーストラリア出身で、数年前に亡くなりました。 ノエルは「マリスト・ブラザーズ」というカトリックの修道会に所属していました。 1960年代、70年代、80年代のオーストラリアでは、多くのカトリック教会の修道士、司祭、修道女たちが学校で教えていましたが、彼らは教育大学で1年間しか学んでいないことも珍しくありませんでした。 そこでカトリック教会は、自分たちの教師を海外へ派遣し、大学院レベルの教育を受けさせることを決めました。 多くの教師がカリフォルニア大学バークレー校やシカゴのロヨラ大学に留学しました。 海外で彼らはマイヤーズ=ブリッグス・タイプ指標(MBTI)に出会いました。 特にバークレーではデイヴィッド・ケルシーが気質理論(Temperament Theory)を教えていたこともあり、MBTIが広まりました。 その結果、多くの教師たちはMBTIの質問紙や関連資料を持ち帰り、自分たちのコミュニティや学校でタイプ論を教え始めました。 これがオーストラリアでタイプ論が広まったきっかけです。 ノエルもカリフォルニア大学バークレー校に留学し、当時は公式な認定プログラムはなかったものの、MBTIの質問紙を購入することを許可されました。 彼はタイプ指標(MBTI)を使いながらワークショップを開催し、ユングの『心理学的タイプ』の詳細な知識を取り入れていました。 ノエルは常に学び続け、各認知機能について非常に深い理解を持っており、他の誰よりも早い時期にこれを教えていました。 はるみ: 修道士になった人々には、特定のタイプの傾向がありましたか? メアリー: どんなタイプの人もいましたが、特にセンサータイプ(S)や、SJ・SFJタイプの割合が多かったです。 第二バチカン公会議(Vatican II)では、教会の近代化が進められ、その一環として教育の充実も図られました。 その結果、多くの修道士や修道女が宗教的な生活を離れ、一般社会に出るようになりました。 こうした人々の中には、MBTIを学び、ビジネスの世界に進んだ者も多くいました。 私自身もタイプ論を教えてしばらくした後、2週間のリトリート(修道士向けの研修)に参加する機会を得ました。 そのうちの3日間はタイプ論の授業がありましたが、私はその内容にすっかり魅了されました。 私はノエルたちが開催していたいくつかの講座に通い始めました。 そして1985年のある講座で、アメリカのType Reporterという雑誌を手に取りました。 そこに、マイヤーズ=ブリッグス・タイプ指標(MBTI)を使うための認定プログラムに関する小さな広告が載っていました。 これが、私にタイプを教えてくれたもう一人の人物、マーガレット・ハーツラー(ENFJ)との出会いのきっかけでした。 彼女とキャサリン・マイヤーズは、ちょうどこの認定プログラムを始めたばかりでした。 それまで、MBTIの認定プログラムは存在しておらず、指標を購入できるのは心理学者だけでした。 しかし彼女たちは、心理学者以外の人々にもトレーニングを受けさせ、指標を使えるようにするために、このプログラムを始めたのです。 私は興味を持ちましたが、アメリカまで行って受講することは考えていませんでした。そこで、メールもなかった時代に、彼女たちに手紙を書いたのです。 すると2週間後、マーガレットの夫ゲイリー・ハーツラー(ENTP)から電話がかかってきました。 彼はこう言いました。 「こちらに来なくていいよ。我々はまだオーストラリアに行ったことがないんだ。ぜひ行ってみたい。」 […]