覚悟と目標

最近人と話したり、本を読んでいると”覚悟”という単語とよく出会います。
そしてその言葉の意味を少し理解できるようになりました。
理由として、本当の目標が、この数か月で出来たからだと思います。
私の目標、それは”空手のインストラクターになる”です。
今年の2月から、空手を習い始めました。
これまでスポーツ自体は嫌いではなかったのですが、視力が悪く、体格的にも145cmと小柄なこともあり、何かを習い始めても実にならなかった過去があります。
ただ私が通う空手道場は、私のように世間で身体的に弱者とされる、女性や子どもや年配の方が、本来の身体の使い方を知り、護身や整体として用いることを目的とした空手を教える道場です。
初めての体験稽古で、空手を習った時、身体が嘘のように軽くなった感動が今でも忘れられません。
また、数か月稽古を続けることで、これまで身体の使い方を知らなかっただけで、自分が本当は動ける人間という事実にも驚きました。
そしてその中で、”私と同じようにスポーツをしたいけど、学生時代の体育の成績で自信を無くして始められない人がいるのではないか”と思うようになりました。
加えて”私みたいな小柄で運動音痴とされてきた人間が出来るようになれば、大きな説得力になるのではないか”と考えるようにもなりました。
私の通う空手道場では、茶帯にまで昇級すれば、インストラクターになれる制度があります。
この制度を知り、私は人生で初めて絶対になりたいものが出来ました。
そして絶対になりたいものが出来て、改めてこれまでの私は、なにか一つのことに覚悟や目標を持って取り組むことが出来ていなかったと痛感しました。
私のタイプの心理機能的に考えても、うっすら興味を持ったことを、頭でこねくり回して分かった気になるNe (外向的直観) とTi (内向的思考) の傾向が強く、反対に本当の意味で体験したり、目標に向かって計画を立てて継続することは苦手なきらいがあると思います。
またそもそも継続したいと思えるほどの強いプラスの感情を感じにくいという部分もあります。
知的関心は強いけれど、感情は薄いという説明しづらい感覚です。
だから少しでも面倒臭さや不安を感じると、投げ出したり殻に籠りがちです。
実際これまでの人生を振り返ると、色々なことに興味を持つものの、結局継続せず、スキマ時間は努力するのではなく、ダラダラする日々でした。
でも空手に関しては、稽古で習ったことを、自宅ではもちろん、職場でも休憩中に復習しています。
また、職場で後輩の教育を任され、当初は憂鬱な気分でしたが、今後インストラクターとして人に教えるいい予行演習になるとポジティブにとらえ、前向きに取り組む自分がいます。
何かを心に決めると、見える景色が180度変わり、人生すべてに意味があると思えるようになりました。
今後も今行っていることが、自分の目標の糧になると捉え、前向きにチャレンジしていければと思います。
文・池田 美沙子

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